少子高齢化が叫ばれている現代。子育てにかかる費用は○○千万円!とか、子供が生まれるという事に対して何か後ろ向きなニュースや報道が多いような気がする。確かに子育てにかかる手間暇、費用はそれなりに必要というのは事実だと思う。ただ○○千万という大きな数字がバン!と出ているのを見ると、これから子供をどうするか考えている夫婦にとってはデメリットな面が大きく見えちゃうわけで、それは良くないなと個人的に思った次第。
なので、今回は2人の子持ち平凡サラリーマンが感じている子供から与えられた良い場面のみを紹介することで、少しでも少子高齢化防止につなげたいと思う。
これから子供を考えている夫婦の方々に、少しでも子供っていいな、欲しいなと思ってもらえたら嬉しい。
与えられたもの:喜び、感動、笑い
子供をどうするかっていう事に対して、メリット、デメリットとか、そんな損得感情で考えたことが無い。そんな表現は適切じゃない。何というか、そんな事を超越して、子供は特別。そう、特別なんだ。以下に、そんな特別な存在から与えられた良かったと思える場面を紹介していく。
出産
男の子、女の子、どっちでもいい。無事に生まれてくれと願いながら産婦人科で待ってると、看護婦さんの「生まれましたよ」の一声。丸々とした元気な我が子を見たあの瞬間は忘れられない。親になった実感もなく、ただただ感動。赤ちゃんなんて生まれた時なんてどれも同じやんと思ってたが、そんなことは無い。小さい手、あくび、動き、どの動作も全てが可愛い。嫁にも感謝。感動がとにかくエグい。
初めての抱っこ
ついこの間までお気楽に暮らしていたただの凡人がこの瞬間に親になったと実感。どこをどう持ったらいいのかわからない。首が座ってないから頭を支えろみたいな事を言われるが、首が座ってない?何がどうした?みたいな感じで恐る恐る我が子を抱く。何もかもが小っちゃくて、軽い。けど、温かい。顔はサルみたいなんだけど、とても愛くるしいサル。テレビとかでよく見る、赤ちゃんの手に指を置くとギュッと握り返してくるあの動作。あぁ、これがそうか・・・と何とも言えない感情が湧く。
初めて言葉らしき事を喋った
生まれてすぐは当然、泣くか寝るかみたいな感じなんだけど、たまに笑ったりなんかするとこっちはもっとニヤニヤしてしまう。ダーとかアーとか言ってる時に、たまにダーダーなんて言ってたりすると、あれ、今パーパー(パパ)って言ってる?みたいに都合がいいように解釈してしまう。親バカにはならないと思ってた自分が恥ずかしい。
風呂に入る
我が子との初めての風呂。お風呂マットをひいて子供を寝かせ、まずはシャンプー。髪もまだそんなに伸びてないので少量のシャンプーで優しく洗ってく。泡が目に入らないように注意しながらおでこ付近も洗ってく。後頭部や頭の横あたりも優しく洗っていくと、ダーダー言ってた子供が次第に無言になっていく。お湯で頭を流し終わったころには、もう子供は爆睡。ウトウトしている子供の仕草、寝顔。何とも言葉では表現できないほどに愛くるしい。
一緒に寝る
子供がいると寝る前のひと時ででさえ笑顔になれる。布団で寝転んでいると子供が自分のの方にダイブ。そのままじゃれて遊んで、最終的には嫁に怒られる。なんて事をしていたら子供が次第にウトウトして勝手に爆睡。子供の寝顔は、なんとも言えない可愛さがある。そんな子供の顔を見ながら自分も眠りにつける環境がとてもありがたく感じるし、起きた時に寄り添ってきている我が子はとてもかわいい。
飯を食う
食卓に子供が一人増えるだけで、こうも変わるのかと思わされる。スパゲッティを食った後の子供の口元が、とんでもなく汚れていたり、ピーマンを諦めたような目で見ていたり、ありえない箸の持ち方から繰り出される妙技だったり(後程しっかり持ち方は教える)、食事という時間がとても楽しくなる。単純に話題が絶えずに会話が弾む。
保育園、幼稚園の成長
同級生との初めての集団行動。友達はできるのか、上手く喋れるだろうか、始めは色々な不安があるが子供の力は凄くて、あっという間に集団行動になじむ。不安そうに入園していた姿なんぞ初めの数日のみ。子供って凄いなぁと感心する。お遊戯会や運動会なんかは我が子が一生懸命にやる姿を見るだけで感動する。家ではあんななのに、外ではこんな感じになるのか、お友達とはこんな感じで喋るのか、外ではこんな仕草なのかなど、集団生活での子供の新たな一面が見れて嬉しくなる。
叱る
三つ子の魂100までみたいな言葉があるように、子育てには叱る事も必要。怒るじゃなく叱る、これが大事。人間として悪い事はしっかり叱る。それこそ3歳くらいまでは子供もシュンとして泣きじゃくる場面が殆どだと思うが、5歳くらいになってくると少しずつ生意気な面が見え始め、それが叱るという場面でも姿を現してくる。我が家のケースで言えば、子供が自分の靴を洗わない事があったんで当然叱るんだけど、子供の顔に反省の色は無くブスッとしている。ここは親父の威厳を見せる時ということで「洗わない靴は履かなくていい」といって靴を外に放り投げる(後から回収予定)。「取ってこい!」って言って取りに行かせようとしたら、またもや反抗の意思表示。これはイカンなという事で、子供を抱えて外に出そうとしたんだけど、その時の子供の抵抗っていうのが、自分に抱えられながらリビングの扉に必死に捕まって意地でも出ないという、こちらからするとシリアスな親父の威厳をぶち壊すようなオモロい姿だった訳で。何というか、こういう場面でも笑わしてくるのかと。こういうのを体験すると子供って面白いなと思う。
小学校での成長
小さな体に対して大きめのランドセル。ここからまた集団生活のランクが上がる。保育園、幼稚園とは違い、勉強というはっきりとした課題がつきつけられる時でもある。こういう小学校、中学校、高校もふくめて子供が新たなステージに上がっていく時っていうのは親も少なからず不安に思うが、それでも子供は順応して成長していく。まぁ自分たちもそうだったから当たり前なんだけど、親として見ると子供の何気ないちょっとした成長でも、こんなにも嬉しく感じるものなのかと痛感する。小学校となれば、いじめみたいな問題もやっぱりあって、子供と話して一緒に考えたり、またそれによって子供の考え方も変わっていったり色々な悩みや問題を共有していくことになる。大変なことではあるが、子供に寄り添い、お互いに話し合うという機会がしっかり出来てくるのもこのくらいの時期からなのかなとも思うし、こういう時間があって自分は本当に良かったと思える。
新しい事にチャレンジする子供の姿
勉強やクラブ、または遊び、子供が新しい事にチャレンジする事は親から見るととても微笑ましく、感動も与えてくれる。我が家のケースで言えば長男のスイミングなんてのは感動や爆笑を存分に与えてくれた。人見知りで集団行動が苦手だった長男。友達から誘われたという理由から興味本位で行きたいといってきたので、これはチャンスと思い参加させてみた。初めは人見知りが災いして中々集団になじめない時期が続く。これは心配だと思って、長女と二人でスイミングの見学に行ったんだが、プールサイドで子供たちの中に一人泣きながら登場する子供が一人。我が家の長男。しかも水着が前後逆で長男の大事な部分がはみ出てる。「おい、出てるぞ(笑)」。本来であれば泣いてる子供が心配になるところなのだろうが、そんな事よりもハミ出てるのが面白くて長女と二人爆笑したのをよく覚えている。ただ、6年間しっかり頑張ってしっかり泳げる姿を見たときは単純に感動した。今はもうスイミングはやめているのだが、そのやめた理由というのも「バタフライは人生のどこで使うかわからない」というもの。真っ当な意見だ。6年間頑張ったのですぐに止めさせてやった。
子供からの贈り物
イベントや誕生日なんかで貰う子供からのプレゼントなんかは普通に嬉しい。それがどんなものでも心があったかくなる。その中でも、なんか普通に感動したのが「手紙」。なんて事のない「ありがとう」とか「好きだよ」とかそんな手紙なんだけど、これがまた嬉しいんだ。手書きのヨレヨレした字が、また何とも子供らしく、文面の横に何か絵なのかラクガキなのかわからない物体が書かれてたり。もう、普通に「ありがとう」という気持ち。いつ貰ってもジ~ンときてしまう。
家族旅行
家族旅行なんてのは子供にとっては嬉しいイベント。行き先なんてどこでもいい。家族みんなでいろんな場所に行ったり、食ったり、遊んだり。子供がいると一段とまた思い出が深まるってもんだ。子供が楽しむ姿を見るだけで、旅行してよかったと思える。まぁ子供がいつまで一緒についてくるかはわからないけど、ついてくるうちは機会をつくって家族旅行には行きたいと思っている。写真は家族で熊本(南阿蘇)に行った時のもの。景色も良いし、飯も美味い。最高。
中学校での成長
また新たな集団行動の始まり。段々と社会の厳しい現実が押し寄せてくる感じか。中学校ともなれば高校受験という難関に挑戦する時期でもあるし、学力の格差が広がる時期でもある。また、部活も始まり段々と忙しくなってくる。段々と無邪気だけではやっていけない努力するという事が必要なステージに突入してくるので、子供としてはキツくなってくるタイミングだと思う。うちの長女は明らかにこの中学校時代で変わっており、努力・継続という力を学んだらしい。もう、行動が明らかに変わった。長女に「何があった?」と聞いてはみたものの、未だにはっきりとした理由は教えてもらってない。でも、子供が自分で考えて、結果がともなっていく姿を見ると、子供と言えど普通に尊敬するし、単純に褒めたくなる。そして子供って凄いなぁと改めて感じる。
長男が競馬を覚えた
小学校6年生の長男が「中山2500mはスタートがコーナーからになるからインコースはゲートが大事だよね」と言った。「?、お前、わかってんじゃん!」。これが我が家の有馬記念前の会話である。いや、感動したね。以前から長男は競馬が好きなんだなとは思っていたが、こうも具体的にちゃんとした意見を言うようになったとは(マジ感動)。そしてまさか子供と競馬について話せる機会が来ようとは。男の子が生まれて良かった。親父の喜びの一つかもしれない。で、お前はどこでその知識を学んだんだ?
子供からの感謝の言葉
子供を育てるというのは親の当然の義務であり、やらなければいけない事。というかそんな事考えずに自然にやってるというのが実状なんだけど、そんな中で子供から「ありがとう」とか感謝の言葉を聞くと素直に嬉しくなる。別に感謝しろなんて思った事は無いが、子供が自然とそう思ってくれている事に感動する。子供の接し方に間違いなかったのかなとホッとする瞬間でもある。何気ない「ありがとう」という言葉を素直に言いあえる家族環境は大事だ。
高校での成長
我が家では長女が現在高校1年生。しっかり自分の意見も言うし、性格と言えば若干キツイか・・・。良くも悪くも大きくなったなと思う。子供の勉強を見る事も大分少なくなった。まぁ自分に教えられるような学力が無いというのが実状なんだが、それでも子供は自分で考えて自分で解決していく。これって段々と親離れに近づいて行ってる感じか。そう思うと少々寂しい感じもするが、こういう子供の成長を見るのも、またそれはそれで悪い気はしない。家事もちょくちょく手伝ってくれたり、掃除機かけてる時は手伝わない自分が怒られたり、どっちが子供なのか分からない感じの時もある。そりゃあ高校生なんて社会人の一歩手前なんだから当然と言えば当然か。しっかり大人になってるんだなと実感する。長女自身は今は明確に目指したい職業とかはわからないみたいで、今出来ることを一生懸命やってるみたい。親としては出来る事はやってやりたいし力になってやりたい。
大人になっていく過程
長女は高校、長男は今年中学生になる。長女が中学校で覚醒したように、長男も覚醒出来るのか?不安があるが多分それなりに成長していくと思うし、長女とは違う長男らしい成長を遂げていくことだろう。努力とか学力とか運動面とか色々と思うところはあるが、何よりも思うのは、健康で過ごしてくれる事。家族みんなが健康で笑って、悩んで楽しく生きていければそれでいい。これは子供が生まれてきてくれて、より一層そう感じるようになった。年始の初詣の願い事はいつも「家族の健康」。子供がいない時は「お金」だったんだけど、まさか自分が家族の健康を願うとは。子供が助かるなら自分は何でもするなんて、そんなキレイ事なんぞ言うかみたいな感じで思っていた自分だけど、親となった今ならそんな感情もわかる。
子供はこんなにも素晴らしい
色々書いてきたが、自分の子供もまだ高校生と中学生。これからも色々な事があると思うし、喜び、感動、笑いを与えてくれるだろう。冒頭でも書いたが、子供はメリットとかデメリットとかそんなもので表現できるものではないし理屈じゃない。お金が必要な事は事実ではあるが、各家庭で出来る事、出来ない事はあると思う。大事なのは各家庭ごとに出来る事を一生懸命やればいいんじゃないだろうか。自分の実家は貧乏だったが決して不幸だったなんて思ったことは無い。むしろ楽しかったくらい。ゴチャゴチャしてしまってよくわからなくなってきたけど、とにかく今回伝えたかったのは、子供はとても素晴らしいという事。
今回の記事が子供を考えている御夫婦の参考になれば嬉しい。