はじまして。にわパパ と申します。
貧乏家庭の貧乏育ち
長崎県生まれの長崎県育ち40代凡人サラリーマン。
貧乏な家庭に生まれた為、幼少期といえば結構ガツガツしていた方だったかもしれない。
自販機の下の小銭やら、花火大会の後の小銭やら、やたらとウロウロして小遣いを稼いでいた記憶がある。
家が貧乏だった理由は、ダメな親父のせい。転職ばかりを繰り返し定職につかない男だった。当然、給料は上がらず家に入るお金が少ない。母はパートでやり繰りし何とか家計を手助けしていたようだ。
保育園なんて低収入過ぎたため保育園料は免除。どんだけ貧乏やって話。保育園の帰りも、みんな早々に親が迎えに来てるのに自分は一番最後。暗い夜道をに母の自転車の後ろに乗って帰ってた。幼少期の飯はそうめんが多め。安かったかららしい。当時はこれが普通なんだと思ってた。
ただ超貧乏と思った記憶は無い。母が強い人間で、とても明るくふるまってたからね。改めて母の偉大さを感じる。
小中学校時代
自分という子供は、活発でもなく大人しくもない。まぁ普通ってやつ。
目立つやつでもない為、大勢の友達と遊ぶなんて事もあまり記憶にない。
ただ友達には恵まれていた気がする。その時々で、仲がいいと思える友達がいたし、孤立するような事は無かった。
成績はというと
小学校はトップクラス。まぁいうて小学校だから。先生の話を聞いていたら何となく点数は取れた。宿題はキライ。もうセンスのみでやってた。これがのちの人生に多大な悪影響を及ぼすとは。
親は言っていた。
あんたは、やれば出来る子供だ
もう完全に真に受けてまして。出来るうちはやらなくていいみたいな変な解釈してました。しかし、中学校になってくると状況が少しづつ変わってくる。
センスのみでは当然成績は伸びず、中3くらいになると成績は中の下程度まで下降。家が貧乏な為、私立高校、ましてや大学を見据えた進学校なんて自分の選ぶ進路には無い。
とれる選択は公立の工業高校、商業高校とかになるのだが、中3成績が中の下ともなると結構ギリギリみたいな感じだった。
しかし、ここで学校推薦で公立高校に入学する話が浮上(部活推薦)。これは願ってもないチャンスと思い、速攻で推薦の面接を受ける。合格。大した勉強もせずに公立の工業高校へ入学が決まった。とにかく親に私立高校の負担をかけないで済んだ事にホッとした記憶がある。
高校時代
相変わらず成績、中の下の生活をおくる。とにかく普通。
工業高校なので資格勉強がほどほどあり、それなりに電気系の資格を取ることに成功。何かを目指してなんて事は無く、大きな人生の流れの中でユラユラしながら身を任す、そんな感じ。それなりに楽しく、それなりに友達と充実した生活を過ごせた。親友と呼べる友達も出来て割と楽しかった時期だと思う。
ただ、そんな感覚で生活するとあっという間に時間は過ぎるもので、高校3年になると人生で大きな分岐点に差し掛かる。そう就職だ。
学校にくる求人で一流企業や条件のいい企業の求人は、成績トップの奴らがどんどん取っていく。成績が中の下ともなると自分に与えられたカードは、当然身の丈に合った条件のものしか提示されない。これが今までセンスのみでやってきた代償だ。
努力していない奴は努力していない結果しか得られない。
この時期に人生で初めてこの事が身に染みた。人生で初って遅すぎやろ。まぁどうにもならんけど。
でも残った求人の中でも少しでも合格確率を上げる為、求人人数がなるべく多い企業を選択。何とか合格。晴れて社会人としてスタートラインに立てる事が出来た。
社会人序盤:厳しい現実にコテンパンにやられる
これまでセンスのみでやってきて、努力という努力をしてこなかったまま社会人になるとどうなるか。はい、コテンパンにやられました。へへ。
いや、笑い事じゃ済まされないくらいやられました。今考えると、うつ病になりかけていたか、もしくはうつ病だったんじゃないかとも思う。
連日のごとく帰りは深夜か下手したら徹夜になる事も。体重は高校から10kg以上は痩せましたね。目の下にはクマができ、残業はサービス残業。いわゆるブラック企業みたいなもんです。とにかくキツかった。(ほんとにキツかった)
何でこうなったか。はい。全ては自分のせいだと思ってます。
(うつ病なのか?思考回路が狂ったか?いや違います。)
というのも、周りの人には恵まれてたんです。いい人が多かった。一部、嫌な人もいたけど。じゃあなんでこうなったか。自分の仕事に対する姿勢が全然ダメだった。
高校までの学生の感覚でいきなり社会に出ると、どうしても必要な事は周りから教えてもらえるという感覚が残っているわけです。仕方がないです。そうやって今まで来たから。でも社会人はそうはいかない。必要な事は自分から拾いに行かないと誰も教えてくれない。そんな甘い世界じゃないんですよね現実は。
センスのみでやってきた努力経験なしの激アマ社会人ボーイは、見事に仕事内容を習得できないまま次々と仕事を振られ、溜まっていく仕事に追われながら新たな仕事が舞い込んでくる。そのループ。そりゃ周りからも厄介者みたいな目で見られますな。(悲)まぁ今思えば仕事が溜まるのは自分の知識不足だし、周りに聞こうともしなかった自分の落ち度もあるし、完全に自分の努力不足でなるべくしてなった結果だったと思ってます。
人生には必ずどこかで壁があり、頑張らないといけない時がある
もう、めちゃくちゃ痛感した。やらんと死ぬなと思った。逆にこの経験があり、乗り切った事が今でも自分の中で自信となっている。今の自分があるのはこの経験のおかげやね。
社会人時代:環境変化、現在に至るまで
激アマ感覚改善にむけて、とにかくひたすら仕事をがむしゃらにやってた頃に会社の状況に変化が。同業の大手に会社が合併吸収されたのである。でも、激アマ卒業を目指している自分にとってそんなことはどうでもよくて、どこの会社に吸収されようがやる事は変わらんやろと気にしていなかった。しかし、これが後に大きく人生に影響を与えることに繋がる。
合併吸収されたことで仕事環境が大幅に改善される。要はサービス残業だったり、有給休暇だったり。
で、この頃になってくるとようやく自分の激アマ感覚改善活動が少しづつ実を結び始めており、周りの人の反応や、仕事量的なところも少しづつ良くなってきた時だった。3年はかかったか。とにかく必死にやった。自分が多少変わったら、今まで無視していた人が話しかけてきたり、色々協力してくれたり様子が変わる。これは意外だった。
こんな中で仕事環境が変わり、以前に比べ無理しない程度に仕事をこなせるようになっていった。
そして、この合併吸収の時に嫁と出会う事になる。まぁ自分の一目惚れだと思う。
ごり押し戦法でお近づきになり、7年の交際の末、結婚。
結婚から1年後に第1子である長女が生まれ、その4年後に第2子である長男が生まれる。
そんなこんなで現在、2児のパパをやっております。
今これを書いている時で、自分が40代突入、長女がもう高校1年生。月日が経つのは早い。
俺という人生
改めて今までの人生を振り返ると自分はものすごく運がよかったんだなと思う。
決して努力してきた人生ではないけれども、今こうやって不満なく暮らせている。
間違いなく運はいい。
でも、センスや運だけではこれからの人生を乗り越えるのは厳しいとも思う。
家族にクソ嫌な思いはさせたくない。ましてや自分が経験した貧乏な思いもさせたくない。
これから後悔しない楽しい人生をおくるために何が必要か。
40代になったからこそ真剣に考えてみたい。
そして、自分の経験が誰かの役に立つことになるなら嬉しい。